titlephoto.gif

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--)
スポンサー広告

作左衛門 江戸見聞記 弐

新吉原、パートツーでやす~(^^)

さし紙をまわした、寿屋という引き手茶屋の二階では飲み食いが始まり、
三味線や太鼓、小唄に合わせて芸者が踊ってやす。
ここで花魁(おいらん)が来るのを待つわけでやすが、
一刻(二時間)以上待つのもめずらしくありやせん。
それだけ、もったいつけてやした。

宝暦二年(1752)年ごろまでは、茶屋の次に揚屋(あげや)に上がりやした。
茶屋から揚屋に案内され、揚屋が花魁を待つ場所でやしたが、
茶屋が全てをサポートするようになり、揚屋はなくなります。

さて、遊客が酒を飲み、芸者や太鼓持ちの芸と唄で間を繋いでいる間、
大見世の桐屋という妓楼(遊女置屋)では、花魁桐島にさし紙が来て、
いざ行列ということになりやす。
供揃えがまたてえへんでやして、振袖新造、禿(かむろ)、提灯男芸者、遣手などを供に
茶屋まで練り歩きやす。これが花魁道中でやすな。
なにせ、すんなり歩けば四半刻(しはんとき約30分)の半分もかからねえとこを
半刻(一時間)以上もかけて歩きやす。
花魁道中とは、京町、江戸町などから仲の町を通ることを
東海道の上り下りに見立てて道中といいやした。
灯籠鬢(派手な女髷)で厚化粧、襦袢(じゅばん)の上に縮緬の着物を二枚重ねやす。
さらにその上に豪華な打掛けを三枚羽織り遊女特有の前帯姿で、
三枚歯の高さ六寸(約18cm)の下駄を履き
外八文字でしゃなりしゃなり~と優雅に、ゆ~っくりと歩きやす。
もっとも、着物の重さと下駄の不安定さで立ってるのがやっとと言われてやしたが(^^)
この歩き方は熟練の技とも言えるもので、見習いの頃から廊下などで修練を積みやす。
花魁道中ができるのは、ほんの一握りでやすがね。

やっとこさ、寿屋に桐島が来やした。
見合いの「初会」でやすな。花魁と遊ぶためには、「初会・裏・馴染み」と
最低三回は同じことをしやす。
初会は桐島が座敷にへえってきて、ただ壁際にチョコンと座ってるだけてやす。
喋りもしねえ、物も食わねえ。遊客の顔を見ようともしやせん。
回りの人達が座を沸かしてこの日はお開きでやす。
ただ、顔を見せに来ただけでやんすな。
廓遊びも疲れやす~。



img_1110010_28470327_0.jpg

上、豊国画「絵本時世粧」より
  右から振袖新造、花魁、番頭新造、禿が二人、新造、遣手

妓楼には、いろいろな人間がいやす。
大スターの花魁には三段階ほどありやして、「新造付き呼び出し」が最上級で、
揚げ代は一両一分(約125000円)でやす。
次が「呼び出し昼三(ちゅうさん)」で揚げ代が三分(75000円)、
で「座敷持ち」が二分(50000円)でやした。
次が新造です。
若い遊女で次世代の花魁を担う連中で、「部屋持ち新造」の揚げ代は一分(25000円)ほどでやす。
遊客をとるのはこのぐれえでやす。
お足(費用)は他に、妓楼で働く連中に心付けや飲み食い代がかかりやすから、
揚げ代の倍以上かかりやした。
新造の下には「振袖新造」がいて客はとりません。見習い遊女でやす。
その下が「禿」で、花魁に引っ付いている六歳から十四歳ぐれえの見習い兼雑用の少女。
他にも「番頭新造」という年季が明けても妓楼に残って花魁の世話役をするのや、
「遣手」という、遊女や禿の監督兼客扱いの責任者などがいやす。
俗に言う「ヤリテババア」でやす(笑)。
もちろん男衆もいやす。妓夫(ぎゆう)、喜助とも呼ばれ、総称「若い者」でやす。
年老いた若い者もいて、客を呼び込む「見世番」、遣手の下で二階を司る「二階番」、
遊女の部屋の行灯(あんどん)に油を差して廻る「油さし」、
未払いの金を取り立てる「さがり取り」「掛け廻り」、
「風呂番」「飯たき」「料理人」「お針」などがいやした。
img_1110010_28470327_1.jpg

上「繁千話」より油さしと新造

また、あんまし知られてねえでやすが、吉原には引き合い茶屋、妓楼だけじゃありやせん。
寿司屋、蕎麦屋、水菓子(フルーツ)屋、小料理屋、居酒屋などの飲食店、
湯屋、床屋、女芸者や男芸者、幇間(太鼓持ち)などが住む長屋などもあり、
茶屋、妓楼以外にもここ吉原で働く人間が五千人以上もいやした。

次回に続きやす~


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


| ホーム |
Page Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。