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壬生義士伝

20060517223031.jpg
壬生義士伝。
浅田次郎氏の新撰組の一隊員の話しだ。
吉村貫一朗という南部藩の下級武士が主人公。
幕末、世情不安定もあり、どこの藩も困窮を極めていた。
とくに南部藩(盛岡)で藩校の教授、半農の武士生活を
送っていた貫一朗は米の取れ高も少なく、
妻と子を養うにも厳しく経済的にも
将来のない逼迫を感じていた。
やっと娶った最愛の妻に、出来た子をおろさなければならないと
感じさせる藩に対して憤りを感じ始め脱藩し、
京都の新撰組へと身を投じる。
ただ、銭金のためだけに……
そこで、貫一朗は銭金のためにはなんでもやった。
仲間達から「守銭奴」と言われようと。
新撰組の誰もが嫌がった、法度を破った仲間の私刑(首切り)は
進んでやった。
二両から五両のボーナスが出るからだ。
しかし、その銭金は全て(残すことなく)南部の妻のもとに
送金していた。
吉村貫一朗は、攘夷、思想、派閥など関係なく
(当時の新撰組としては異常)
仲間に白い目で見られながらも
生き延びて、妻と子へ銭金を送り続けた男であった。
また、それがこの男の幸せだった。
しかし、もと居た南部藩としては煙たい男だ。
薩摩、長州連合から追われ続け
南部藩京都屋敷に助けを求めるが
幼馴染の上司から
「藩として、おめを助けるわけにゃいがね。ぬしゃ、スパと腹を切れ!」
と言われて、刃こぼれがしたぼろぼろの刀で
腹を切る。しかし切れないので、何度も何度も
我が身を切り続けたうえで果てた。
眼球にも、切れない刃を突き刺したのだ。
血まみれの座敷に残っていたのは、
妻に送ってくれとの遺言となけなしの銭、
上司から「腹を切れ」と言われたときに
渡された切れる刀だった。

この小説は彼等の会話が全て方言そのままなので
暖かみがある一方でなおかつ東北の土地(痩せ地)の悲しさが
表現されている。

中井貴一の映画はイマイチだった。

原作のほうが泣ける。
コメント
同感です
私も2年前に読みました。
泣けて泣けて・・・。

しかも作佐様のおっしゃるとおり
方言のままなので、ものすごく伝わって来るものがあるんですよね。

映画も見ましたが、これはちょっと違うな
って感じました。

やっぱり文章で先にあれだけ感動しちゃうと
ダメですかね?v-219
by: hive * 2006/05/18 11:03 * URL [ 編集] | UP↑

この作さんの記事読んでるだけで泣けてきました。日本の時代劇小説ってほとんどしらなかったのですが、浅田次郎の ソウコウの昴も興味有りdす。
by: omichan * 2006/05/18 11:10 * URL [ 編集] | UP↑
ハイブ殿
普段読んでいる時代劇の小説と
明らかに違うインパクトがありましたね。
実際に吉村貫一朗は居たわけだし
その事実に浅田氏は見事なスパイスを混ぜて、私達に教えてくれました~
プロットの巧みさ、
会話のリアルさ、緻密な時代背景、
小説の職人芸を堪能しました~
私は約1年前に読んで、
最近また、再読しました。
新たな感動です(^^)
by: 作左 * 2006/05/18 22:33 * URL [ 編集] | UP↑
Omichan殿
実はこの物語、貫一朗が切腹して終了ではないのです。
薩長軍に追い詰められた徳川軍が北海道の五稜郭(ごりょうかく)に立てこもり最後の一戦を交える手前に、
貫一朗の長男が兵隊として志願するのです。
もちろん、生きる術は全て絶たれています。
ただ、父の生きた道に準じるためだけに、北海道に赴きました。
そこの五稜郭に立てこもっているのは元、父が世話になった新撰組の土方歳三も高級将校としていました。
歴史が示す通り、五稜郭に立てこもった徳川軍は壊滅しました。
土方歳三もここで最後を飾りましたが、吉村貫一朗の長男も見事殉死であります。わずか二十歳になるずっと手前でした。
救いは、その弟(だったと思います)が明治以後、農業、特にお米の栽培収穫に関して博士になり、
父の貫一朗と兄の地元盛岡に
青緑のたわわに実る稲をもたらしました。
オミちゃんも時間があったら是非、一読を~(^^)
by: 作左 * 2006/05/18 22:52 * URL [ 編集] | UP↑

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