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作左衛門 江戸見聞記 壱

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吉原全景「東都新吉原一賢」より

あっしは仕事でよく内藤新宿に行きやすが、
ここには歌舞伎町という亜細亜有数の歓楽街がありやす。
歌舞伎町は男性と女性の愛と戦いの場で金が舞い、
夢の世界を行ったり来たりの場でもあります。
江戸にもそんな男女悲哀交々(だんじょひあいこもごも)の場所がありやした。
じゃ~ん!江戸吉原~。幕府公認の傾城(けいせい)でございやす。
大名や豪商などの名士が出入りする社交場でもあり、気位が高く衣食住のいろんな面で一流で、流行の先端を切っておりやした。
江戸見聞には、吉原を欠かすわけにはめえりやせん

もともと、幕府公認の遊郭、吉原は人形町にありやした。
当時は葭(植物のよし)や葦(あし)が生い茂ってるような場所で、
最初は「葭原」と言われてましたけど、
のちに縁起のいい吉という字があてがわれて「吉原」となりやした。
年月が経つにつれて江戸は人口が膨れ上がってまいりやす。
で、江戸の中心近いところに廓(くるわ)があるのは如何なものかと、
浅草、浅草寺裏へ明暦二年(1656年)に移転しておりやす。
その代わり、いままでは昼間だけの営業が昼夜の営業へとなります。
そのため、町人の出入りが増して町人文化の華が開きやす。
新吉原の広さはいままでに比べて倍の三万坪ほどでやす。
思ってる以上に広いでやしょう?
東京ドームが七つ半は楽にへえりやす。
周りは遊女達が逃げねえように、幅二間(約4m弱)の鉄漿溝(おはぐろどぶ)とよばれる堀で
囲まれてやす。

さて、吉原にあすびに行きやしょうか。
あっしは日本橋近くに住んでるので、そっからの道程(みちのり)になりやす。
裕福な町人なら駕籠(かご)や猪牙船(ちよきぶね)を仕立ててお忍びで行くんでやしょうが、
今日はお天気もいいので、プラプラと歩いて行きやしょう。
ちなみに駕籠だと二朱(約12500円)ぐれえで、猪牙だと船頭一人につき四百文(10000円)、
それに寸志(チップ)を二百文(5000円)ほどやります。
神田川に架かっている柳橋を渡りやす。
右手には白壁の大きな御米蔵が並んでるのが見えやすね。
国中から米が集められてここの蔵に収められやす。(この前に以前国技館があったので「蔵前国技館」と呼ばれてやした)そのまま進むと大川(隅田川)に架かる七十六間(約138m)の吾妻橋がめえてきやす。
大川沿いに歩いて行くと、山谷掘に突き当り、そこを左に曲がりやす。ここが日本堤という土手でやす。どこから来ても、この日本堤を歩かなきゃ廓には行けやせん。
ぞろぞろと土手の上を人が歩いてやす。遊び疲れた顔でだらだらと歩いている若旦那風は居続け(泊まり)の客でやすな。
意気揚々として天を仰ぐようにして歩いているのは、吉原がお初の若え侍で、もう興奮してるようですな~。
大店の隠居風の落ち着いた爺さん、頭巾を被っている江戸留守居役風、遊び慣れた粋な職人風や助平な顔付きの坊さんなど、
いろんな人間が土手の上を歩いてやす。しかもすべて男~(~~)
と、言ってるうちに衣紋坂に着きました。降り口の右側には高札場があり、左側には見返り柳が立っています。出て来た客がこのあたりで、思わず振り返ってにやつく場所でやす。
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見返り柳「狂歌吉原四季細見」より

ここから、五十間道(ごじっけんみち・約91m)と言われる道をテクテクと歩きやして、その先がいよいよ吉原大門でやす。
ここまで来ると三味線に混じって嬌声やらの騒音が聞こえてきやす。
大門をくぐる手前の両側には外茶屋と呼ばれる総合案内所があるので、初めての客はここで、吉原特有の仕来たりや簡単な予備知識を得て入ったほうがええですな。
大門は屋根があるでけえ門で、右側に女性専門の監視所がありやす。
遊女達の足抜け(脱走)を防ぐためですな。
男はまったくの自由でやすが女の出入りには大門切手(通行証)がなければ通れませんでした。
左側には町奉行配下の番所(交番のようなもの)があり、お尋ね者に目を光らせたり、喧嘩や性質(たち)の良くない客が暴れたらこの番所に突き出されます。また、ここにも町方の与力や同心の旦那が定期的に廻ってこられます。
大門をくぐるとずうっと向こうまで、仲の町(なかのちょう)と呼ばれる大通りが通ってやす。メインストリートでやすな。
その両側はびっしりと茶屋が並んでいます。茶屋と言っても、お茶を飲むところではありやせん(笑) 登楼の案内、見世の紹介などお客の世話全般を焼いてくれます。もちろん飲み食いもできやすし、土産ものなんかも売ってます。
その中でも筆頭が格式の高い山口巴屋でやす。
右側にも一流の茶屋七軒が並び「七軒茶屋」とも呼ばれておりやした。
大門の左側の町は手前から伏見町、江戸町二丁目、堺町、角町、京町二丁目と続き、右側には江戸町一丁目、揚屋町、京町一丁目と続いてやす。その町々に遊女置屋がびっしりと建っていやす。
最初は茶屋にへえってみましょう。まずは二階の座敷に揚げられます。「台のもの」と言われる廓内の仕出しの酒肴が出てきて寛ぎやす。ここで、懐具合や好みの女、また手持ち無沙汰にならないよう、女芸者や幇間(ほうかん・太鼓持ち)、三味線弾き等の遊びの供を手配いたしやす。
また、馴染みであれば、ここで見世と太夫(たゆう)を指名しやす。
客筋を掴んだ茶屋の女将は、客が喜んでくれそうな遊女置屋にさし紙を廻しやす。

はてさて、吉原遊びは如何になることやら~
次回に続けやしょう(^^)


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