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作左衛門 江戸見聞記 四

新吉原、パートフォー~~(^^)
今日は、廓の一日を追ってみましょう。
吉原の見世の営業時間は昼の九ツ(12時頃)過ぎから
夜中九つ(12時)までぐらいでやす。
十二時間営業でやすな。

遊女たちは、夜は客と一緒でやすから、だいたいが寝不足でやす。
しかも、休みは元旦と七月十三日の年に二回だけでやすから大変な仕事でやす~。
朝起きるのは、五ツ(午前10時)頃で、朝湯につかってから朝食をとりやす。
昼の八ツ(午後2時)頃までに、部屋の掃除、髪結やら化粧やらを済ませやす。
20060401113117.jpg

イラスト上 「吉原短歌」より 朝湯につかりながら客の噂話でやすな。

20060401113140.jpg

イラスト上 北渓画「吉原十弐時」より 部屋の掃除と準備でやす。
座敷を掃いているのは振袖新造。

で、遊女達は昼見世にでやす。
この昼見世ってえのは、お武家様の客が多いんですな。
ご存知の通り、江戸には各藩(各県)から単身赴任のお侍さんが沢山おりやす。
しかし、お侍さんは主人(殿様)をもってやすから、外泊は許されやせん。
で、自然と昼から夕方にかけて、お武家のお歴々が吉原の重要な客になりやす。
各藩の「江戸留守居役」という職は藩の「外交役」でやしたから、
吉原を接待としてよく使用し、
藩の金を社交費として惜しみなく使いまくったので遊女たちの上客ともされてやした。
手元不如意(金がない)な藩もこの「江戸留守居役」だけは、銭が使えました。
悲しいことでやすが、国許のお百姓さんの苦労の上に立ってのことで……

また、昼見世には町屋の人間たちもちらほらとやってきやす。
「息子様」と呼ばれる、俗にいう若旦那(馬鹿旦那ともいう)でやすな。
暇も金もあり、しかもうぶが多いので遊女たちの格好の餌でやす。
馬鹿旦……いや、若旦那方は軍資金がなくなりゃ、
親や親類にたかりせっせと廓に銭を運んでまいりやす。
そんな馬鹿旦那のために身代を潰した商家も少なくありやせんでした。
このへんは、現代に通じるもんがありやすな~(笑)

やっぱり、あすび(遊び)てえのは、てめえの働いた銭で、
受け取り(領収書)なんぞ取らずに倍額払いで
「てやんでい!釣りはいらねえよ」じゃなきゃいけやせん。
おっと~、これも現代に通用しやすな~(^^)

ちなみに、あっしの会社員の友人に、ひと月に数百万円飲みやがった馬鹿旦那がおりやす~(笑)

さて、暮の六ツ(午後6時)頃から、大見世の飾り提灯に火が入り、
開店合図の鈴の音がそこら中から鳴り響いて夜見世が開きやす。
不夜城、吉原の本番でやすな~。
お武家様は六つ(午後6時)から五ツ(午後8時)頃のあいだに殆どお屋敷に帰り、
町人たちの賑やかな夜が始まりやす。

そして、遊女たちは張り見世にでやす。
現代の時代劇によく出てくる、格子の桟の向こうに座って客を待つ遊女の図でやすな。
ここでお眼鏡に適う遊女がいると遊客は引手茶屋に相談したりしやす。

実はあの格子、見世のランクによって開き方が違ってやした。
揚代が二分(5万円)以上の遊女しかいない高級見世は大籬(おおまがき)か総籬と言われ、
通りに面した一面が格子でやす。
次が半籬(はんまがき)で右上には格子がありやせん。揚代が二朱(12500円)から二分以上。
揚代が一分(25000円)以下の店が小格子と呼ばれ、上半分には格子がありやせん。
落ちるとこまで落ちた遊女という設定の時代劇で、
前面格子の向こうに座ってるわけはありやせんね。
20060401113213.jpg

イラスト上 歌麿画「青楼年中行事」より 
夜の張り見世。格子の形状から半籬(はんまがき)とわかりやす。
右上が開いてやすね



張り見世は開けが暮六ツ(午後6時)からひけ(閉店)は四ツ(午後10時)となってやしたが、
四ツのひけでは早すぎるという声があがり、一刻(いっとき・2時間)の延長が許可されてやす。
だから、吉原では九ツ(夜中12時)にもう一度、四ツの拍子木が打たれて閉店となりやす。
廓には四ツが二度ありやした~
―吉原は 鐘まで嘘を つくところ
という川柳がありやした(^^)

九ツが過ぎ、客足がなくなると客のついた遊女は同衾(どうきん)の最中でやすが、
客にあぶれた遊女は遅い湯にへえったり、廓内の居酒屋でいっぺえ飲んだり、
一時の自分の時間を過ごしやす。

引手茶屋経由の遊客は、居続け以外は明けの七ツ(午前4時)頃に迎えの者が来て、
高級遊女に送り出されやす。
この朝のお別れが後朝(きぬぎぬ)といいやす。
よく、きぬぎぬのお別れといいますな~。
客と遊女がお互いの着物をとっかえっこする意味でやすな。
客から開放された遊女はそのまま四ツ(午前10時)まで一眠りして、
また廓の一日が始まりやす~
これが、年に休みが二度しかない廓、遊女の一日でやす。
ハードでやすな~。

紀文(きぶん)と奈良茂(ならも)の贅を競い合った吉原挿話は伝説化されてやす。
材木問屋の代表格の二人、紀伊国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門のふたりは、
散財のライバルでやした。
蜜柑の買出しで大儲けして有名だった紀文は一千人以上の遊女を総揚げし、
大門を閉めさせやした~。つまり吉原自体を買いきったわけでやす。
千両箱(1億円)が堆く積まれたといわれてやす~
ちなみにその千両箱、実際に持ってみやしたが滅茶苦茶重く、
時代劇の泥棒みてえに、あんなもの肩に担いで走れやせん。

奈良茂のほうも吉原に小判(1両小判・1枚約10万円)の雨を降らせ、
大見世の加賀屋から浦里(うらさと)という有名な花魁を身請けし、
深川の豪邸に囲って朝から晩まで酒池肉林。

ある雪の日のこと、奈良茂が茶屋を借りきって雪見の宴を開いて豪遊していると聞いた紀文は
通りを隔てた真向かいの茶屋に行って、
二階から三百両(3000万円)以上の小判と小粒(小銭)を雪の上に撒き散らしやした。
それをみた遊女や幇間(太鼓持ち)、遣手などが飛び出してきて
我先にと金を奪い合いやした。
お陰で雪がグチャグチャ(グチャグチャは好きでやす)になり、
奈良茂の雪見の宴は台無しになりやした~(笑)
すげ~金の使い方でやす。

その後、紀文は自分一人で財を使い切り、一代限りで隠居。
晩年は惨めな生活を続けて静かに息を引き取ったと言われておりやす。
なんとかドアの堀文もこうならなきゃいいでやすがね~(笑)
奈良茂は、紀文と競い合ったのは四代目と言われてやして、由緒ある材木問屋でやした。
四代目の散財が祟ったのかは定かではありやせんが、
五代、六代と衰退し藻屑と散ったようでやす。

―材木屋めがと 千住へ みんないき
これは、紀文と奈良茂が吉原を買いきり、
あぶれた男どもが千住の小塚原にある安女郎屋へ行くという川柳でやす。
あっしら貧乏な町人にゃこの二人、やっかまれておりやした~(笑)

※記事をダブってご覧の方、ごめんなさい。

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